“魂のピアニスト”フジコ・ヘミングの
究極のオールタイム・ベスト「COLORS」
そのタイトルを冠した一夜限りのスペシャルな公演を、
彼女の思い出の地、「横浜」で開催します
ドイツで生まれたフジコ・ヘミングは1930年代初めに、ヨコハマ大桟橋に降り立った。そこから彼女のドラマティックな人生が始まる。彼女はさまざまな困難を乗り越え、60代でついに日の目を浴びることになった。その思い出の地で、「ラ・カンパネラ」や「月の光」など最新ベストアルバム『COLORS』の曲を奏でる。
フジコの演奏には聴く人の心を揺さぶる力がある。それは彼女のピアノの音色が素晴らしいからだ。ロマンティックでノスタルジックな世界は、聴く人の喜びや悲しみを優しく包んでくれる。そうしたピアノを聴くのには、異国情緒あふれる横浜がふさわしい。
WOWOWが主催する今回のコンサートでは、特別な演出としてフジコの手元を美しい映像で映し出すことになった。そのため、どの席からも彼女の音色の秘密の一端に触れることができる。また照明にも工夫がこらされるという。初めて見る人も、久々に触れる人も、ずっと聴き続けている人も、フジコのピアノに素直に癒やされればいい。
本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。日本人ピアニストの母、大月投網子とロシア系スウェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。実弟は俳優の大月ウルフ。母の手ひとつで東京に育つ。幼少の頃よりピアノを始め、レオニード・クロイツァー氏に師事。青山学院、東京藝大を経て、現・日本音楽コンクール、文化放送音楽賞など受賞し、28歳でドイツへ留学。戦時の混乱で無国籍であったため難民ビザでの入国だった。現・ベルリン芸術大学を優秀な成績で卒業し、ヨーロッパでキャリアを重ね、レナード・バーンスタイン氏らからも評価され支援を受けるが、コンサート直前に風邪をこじらせ聴力を失う。絶望と貧困の中で治療に専念し、音楽教師として生計を立てながら演奏活動を続ける。母の死後、日本に帰国し再起をかけて奏楽堂でコンサートを続けた。1999年、NHKETV特集でその存在が紹介されると大反響となり、60代でフジコブームが巻き起こる。いくつになっても自分を信じて努力を続け、諦めることなく夢を追うその姿勢は、多くの人々を勇気づけた。2年連続「日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したCDアルバムは200万枚というクラシック界では異例の大ヒットを記録。その後はパリに居を構えて海外公演の足場とし、ヨーロッパ、北米、南米などワールドツアーを続け、著名オーケストラとの共演も数多い。2018年、フジコの知られざる生活を描いた映画『フジコ・ヘミングの時間』が全国公開されると、立ち見の出るロングランヒットとなった。音楽だけに留まらず、ファッション、インテリア、ライフスタイルなど、その強烈な個性は多くの支持を集めている。デビューから20年を超えた現在も、年間約60本に及ぶコンサートを行い、常にソールドアウトになるほどの人気を誇る唯一のアーティストである。動物愛護や被災地への支援など、チャリティー活動も精力的に行なっている。
フジコ・ヘミング公式サイト:https://fuzjko.net/